好奇心は世界を巡る
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ボスニア・ヘルツェゴビナ

ボスニア・ヘルツェゴビナ
かつてユーゴスラビアと呼ばれた1つの国だった時代もあり、ボスニア公国・ヘルツェゴビナ公国と呼ばれた2つの国だった時代もある。

もっとさかのぼればオスマントルコやオーストリア帝国、ナチスドイツなどに支配された時代もある。

時代時代の支配者の宗教により、キリスト教、ギリシャ正教、イスラム教などが入り現在も残り影響を保っている。
キリスト教一つとっても細かく言えば一つではないし、スラブ人と言っても宗教その他でまた一つではない。よ
り複雑な歴史になっていったのは当然だ。


旅の最終日は2005年にユネスコの世界遺産に登録された石橋・スタリモストとその周辺,モスタルの街の観光です。
400年以上前に架けられた橋が1993年、民族紛争の末破壊され、2004年になって再建されたのでした。


平和の橋
  AA153304.jpg   橋渡り
    



ボシュニャク人とクロアチア人は結局この橋が「平和の橋」として再建されたあとは居住区を分離している。

添乗員さんの 弁「ソ連邦崩壊後、東欧諸国は小さな国々に分かれる道へ進み、EUとして大きくまとまることをのぞんでいるようだ」うなずける。
紛争の火種は消えていないのかも・・。  

ネレトバ川と ボシュニャク人の居住区。
眺め
戦禍の跡はわざと残してある。使用されている建物の壁にも縦断のあとが・・。

サラエボ近郊      mosutaru.jpg

      

お天気に恵まれ全ての観光日程はこれで終了。
バスは一路サラエボ空港へ。

スロベニア、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナ・・・
内陸部を走るバスの車窓からはいつも遠くにアルプスが見えていた


たえずアルプス


ドブロブニク(3)
カテドラル(大聖堂)は、共和国の威信をかけた教会ですから豪華絢爛。
ティティアーノの絵「聖母被昇天図」もあります。
金ぴか宝物館の祭具はもちろん、私はその収納棚に目が行きました。

Dkyoukai          洗練

城壁から見たカテドラル。
中央の黒っぽいドームがそれです。教会の十字架構造もわかりますか?
katedoraru.jpg



城壁と地上から・・人々の暮らしをかいま見る。

暮らしの光景


「変な人」ではありません。
屋根の修理工です。後方(塔の中)にサポート係が。
 
点検     



海に面したカフェもあり、ゆっくり2時間かけてまわりました。

25人も暮らす      崖で商売       手仕事
     

まさにクロアチア版・ミニ万里の長城です。街の北側ミンチェタ要塞(最高位)

ラッシュアワーです       最高位の物見塔

   
ドブロブニク(2)
船に乗ってアドリア海から、城壁に上って、地上ではガイド付きでいくつかの建築物の中を見学しましたので、駆け足ドブロブニク観光をレポートします


ピレ門(陸から島への入り口)を上がった城壁から縦に伸びるプラツァ通り(終点は海)を・・
この通りは昔運河でした。

入り口を上から


円形のオンファリオ大噴水。噴水の水源は、近くを流れるドブロファチカ川
      (右端サングラス女性が熱血現地ガイドさん)
噴水


フランシスコ修道院
フランシスコ修道院


修道院入り口には見学生徒がいっぱい
左で尼僧が案内役をしています。
ドブロブニクは1991年、激しいユーゴスラビア内戦であちことが破壊されたのですが(一時危機遺産リストに)その修復の熱意はドレスデンのそれと同じです。脱帽

見学生徒


修道院入り口のピエタです。素朴な感じがいいですね。
AA142713.jpg


2本列柱の修道院回廊は小規模ながらフランスのモンサンミッシェルに似ています。
壁画の修復が行われていました。

回廊

    
ここに1317年からある薬局は有名です。世界初の検疫所が開設されたのもドブロブニクだし、アメリカ合衆国独立を最初に承認したのもこの国だったんですって。すごい!

ドブロブニク(1)
スプリットで昼食をすませ一路「アドリア海の真珠」ドブロブニク

グーグルの衛星画像

ドブロブニク グーグル


夕刻に到着、世界遺産の中、ヨットハーバー沿いのレストランで夕食。
小ぶりだけど美味しかったムール貝。
25ムール貝


引き上げる頃は午後9時、なのに、なんてすてきな空の色。
ライトアップされた聖ブラホ教会、左奥の方に見えるドームがカテドラル(大聖堂)です。
AA142559.jpg

   

翌朝、バスで絶景スポットに

25ドブロブニク


画像的に美しいだけでなくドブロブニクはヨーロッパを代表する「自由・独立」国家として有名で、かつてのドブロブニク(ラグーサ)共和国は、オスマントルコ帝国がバルカン半島から北アフリカ、欧州の一部を支配していた時代にも、堅牢な城壁により自由都市を守り続けてきた歴史があります。

朝


昨夜の幻想的な聖ブラホ教会の朝の風景です。
この地は、強烈なローマカソリック信者のまちで。ベニスの守護神が聖マルコ(サンマルコ)であるように、ドブロブニクでは街の守護神・聖ブラホが大切にされている。



この向かいにスポンザ宮殿があり現地ガイドさんがここにも案内してくれました。
1階に博物館があり自由を求め度重なる内戦で死亡したドブロブニクのひとびとの顔写真が壁に貼ってあり、現在では想像できない・破壊されたドブロブニク市街の映像が次々に画面に現れるのです。厳粛な気分になりました。

昼食前、船上からドブロブニクを見ると、その堅牢さが実感できました。
聖イワン砦。右奥に見えるドームはカテドラル。
ドブロブニクは塩の貿易で栄えた貿易国でもあったのです。
funekara.jpg



         海からの眺め

クロアチア(6)
バルカン半島南下の旅は続きます。

スプリットに着き、まずは魚市場に〜

アンコウときいたような気がします。大きい〜!
したびらめ?


近海物で新鮮なのでしょう、どの店にも氷はありませんでした。
店の人が平気でたばこを吸っているのには驚きました。

豊かな漁場ならではのオブジェですね。
  
                  オブジェ


トロギールもそうでしたが小学校の校外学習シーズンなのか?よく出会いました。
そして「コンニチワ〜!」と何度も声をかけられました。ジオラマの前で。

校外学習


校外学習の地に選ばれるわけは?
それはスプリットがユネスコの世界文化遺産「スプリットの史跡群とディオクレティアヌス宮殿」だからでしょう。
3世紀ローマ皇帝ディオクレティアヌスは引退後、故郷ここスプリットに居を構えたのです。引退後の住まいがこれ?すごい財力ですね。

東西南北4つの城門を持ち大きな十字路で4つのゾーンに仕切られていました。

王宮

もちろん人の世の常、この栄華を極めた建造物もローマ帝国崩壊後は廃墟と化し、ゴミ捨て場に。まだまだ発掘中でゴミも出てくるそうです。


7世紀になってスラブ人が侵入してくると、ローマ人が難民としてこの宮殿跡に住み着き始め、その後、絵の中心(十字路交点・現在ペリスティル広場)周辺には次々とゴシック、ルネッサンス、バロックといった様式の建造物が建ち、次第に都市を形成し始め、現在でも約3000人の市民が居住しているそうで、この古代遺跡に人が住むという現象は、ここスプリットだけだそう。


キリスト教徒を弾圧迫害して処刑したりしたディオクレティアヌス、その死後は皇帝の像も霊廟も破壊され大聖堂に、神殿は洗礼堂に改造された.。「たけきものもついには滅びぬ〜」

ジュピター神殿(洗礼堂)

ジュピター神殿


この遺跡、地下の発掘も次々進んでいます。地下も案内して貰いましたが想像力不足で???

ドームの中では地元のゴスペラーズ?が歌のパフォーマンス。CD販売付き。
dhi-ba.jpg









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